2015年2月5日木曜日

その後について

今回はお礼と追記について。

以前の記事なんですが、カミングアウトしたことについて、予想以上に反響があって驚きました。

僕のことを心配してくれた人や、応援してくれた人、何も変わらないと言ってくれた人、
それから逆に腹を割って今まで言えなかったことを話してくれた人、
いろんな人が言葉を寄せてくれて、単純簡潔ですが、すごく嬉しかったです。

日本の社会では、人の目を気にして生きることに重きを置かれてしまう面もあるかと思うんですが、
「包み隠さずいること」は自分を自分のまま生きる術であること以外にも
僕にとって人との繋がりをより強くしてくれる要素なんだっていうことも思いました。

そう思うのは、ほかならぬ、投げかけてくれたあなたのおかげです!

僕自身は、解放できたからと言って、これからいいことばかりが待ち受けているとも
思っていなく、まだまだ立ち向かっていくには勇気と労力、くじけない心が必要と思っています。

でも、今、確かに強い結びつきを感じさせてくれた友人、知人、読んでくれた人たちに
すっごく感謝してます。

・・・

たくさんの言葉を交わして新たに思うことは、マイノリティだからと言って、縮こまって、怯えて暮らすなんてアホらしいなと。
自由に、自由な形の幸せをつかむよう、ドンと構えていくことかなと思っています。

例えば、ストレートの人がいる中で「最近芸能人で誰が好き?」なんて話に、
正直に答えられるような状況は理想的です。

それから「普通」ってなんなのかについても考えてました。
誰しも何かを抱えていて、正しい言い方が見当たらないなんですが、不自由ない、なんて人はほとんどいないんだと思います。

例えば、自分の性格が嫌いで不自由に感じているなんて人はたくさんいるはずです。
 
社会が提示する「普通」にすり寄せていくのもうまい生き方のひとつと思いますし、
自分を認め、許容し、自分なりのスタイルで生きていくのも、幸せのひとつと思えました。

※話はズレますが、
  杉崎ゆきる先生の女神候補生という漫画では、
  誰しも何かしらの身体的な欠陥を持って生まれ、Atomicと呼ばれるもので
   補って生活しているという設定があります。
  そして物語の中では、欠陥は持っていて当然のこととされて、誰からも卑下されるものでは
  ないように描かれています。
  今回の話、例として出すには、人の「個性」を欠陥と呼ぶにはふさわしくないと思いますが、
  世の中でのそれぞれの在り方がそのようなものであれば良いなぁと思っています。
  ・・・「差別と偏見がない」と言えば早い話だったか。
  
・・・

えーと、お礼だけ書くつもりが、またダラダラと書いてしまいましたが
本当にどうもありがとうございます。

あらためまして、
理解の意を示してくれた人、これからゆっくりでも分かって付き合っていってくれる人、
どうぞこれからもよろしくお願いします!

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