2015年7月20日月曜日

昔できなかったこと。今できること。

おおっぴらにカミングアウトをしてから少し時間が経って、少し考えることができてきました。

周りの友人たちは理解してくれる人も多くて、本当に助かってます。
本当にどうもありがとう。
僕は行動を起こす前に不安に思っていたことは、
同性愛をネタにして笑いをとったり、蔑視とも取れる発言を何度も目の当たりにしてきたことでした。
それに腹を立てたり、悲しんだりしていました。

でも僕はその時、その行動を怒ることも、訂正を求めることもすることはできませんでした。
「お前もしかして・・・」と勘ぐられるからです。

それが、自身を萎縮させていた原因のひとつでした。

「差別は良くないことだ 」
そんなことは誰だってわかってるはずです。
でも言動が持つ影響、どんな風に受け取られるのか気づいていない人が多いことも事実です。
  もう今は僕はそれに対して、はっきりNO!と言えるようになりました。

これから、自身が自分らしくあるために行動を起こしたいと思っている人を
萎縮させ、圧迫させている原因がある。それをスルーしたくない。

それぞれの理想も環境ももちろん違うので、フックアップしたいだとか、
カミングアウトを推奨したいとも思わないけれど、
できるならば、望んだときに行動を起こしやすいよう、道を残したいと考えるようになりました。
(うーん・・・上から目線に聞こえなければ良いのだけれど)

僕は大したこともできないけれど、
誠意を持って、NOと言う、それが今可能な第一歩だと考えています。



2015年2月9日月曜日

いざ九州へ

こんにちは!

今、僕は羽田空港にいます。
これから九州へ行って、従兄弟の家に2月一杯、約一ヶ月間お世話になりに行きます。

この話は、システムエンジニアとして職につきつつ、うつ病にかかってしまってから、母方の兄弟づたいに事が渡りまして。

そしたら、従兄弟の兄ちゃん、姉ちゃんが遊びに来て、いろんなものを見るといいよと誘ってくれたのでした。

ちなみに姉ちゃんとそのお母さんは、北九州市の小倉でカフェを経営してます。
兄ちゃんは古い家具を扱ってる店など、いろいろ見せたいものがあるそうです。

つまり、僕にとっては次の職のヒントになることがたくさん得られるチャンスです。

今、現在はまたシステムエンジニアに戻りたいんですけどねー。。。
設計、開発の仕事はすごく好きなんですけど、システム開発の黎明期より仕事されてる方とどうもウマが合わないというか。
やりたいけども、病気もありますし、本当に合ってるんだろうか。。。
みたいな。

合う合わないにしろ、基本的に好きだと思う方を選択し続ければ続ければ、後々何かあっても失敗はない(後悔はない)と思います。
でも、今はちょっと悩みどころ。

おもしろいこと探しです。

てなわけで、話は戻って、今空港なわけですが、搭乗2時間前に到着してしまって、手続き開始時間(出発2時間前からの発券開始のようです)まで時間を潰したり、
併設のカフェで大好きなカフェモカをすすりつつ、スマートフォンアプリのゲーム、ラブライブ スクールアイドルフェスティバルをがんがんプレイしてます。

スクフェスは現在イベント中なのでやればやるだけご褒美がもらえる確率が上がるので、この甘く痺れるほどの退屈な時間も有意義に過ごしてます(笑)

兄ちゃんにはかき小屋に連れてって!と懇願しておいたので、かき三昧するのがとっても楽しみです。(あれ、職のヒント云々は?)

旅行先で面白いことあったらまたブログに書いたりしたいと思いますー。

そいでは!行ってきまーす!

2015年2月7日土曜日

お風呂戦争

今回はお風呂の話。
というか折り合いがつかないことの話。

僕、2015年の1月に引越しをしまして、祖母と二人暮らしになりました。
洗濯、掃除、料理なんかの家事は大変だけど、
勝手は違えど、1人暮らししてる時とさほど変わらないっちゃ変わらなく過ごしてます。

・・・が。

毎日のように論じられていることが、お風呂の設定温度についてです。

ここで、最初の根源について書きたいと思います。
※僕本人はちょっとした小噺のようなネタとして思っています。

----------

おばあちゃん「湯船の設定温度は42℃じゃないと、寒くて湯船から出られないんだ。」
僕       「42℃じゃ熱くて入れないよ。肌が真っ赤っかになっちゃったよ。」
おばあちゃん「そういう時は埋めたらいい。(水をいれてぬるくすること)」
僕       「ああー、そうだね。埋めて入ることにするよ。」
         「ところで、おばあちゃんは湯船に入る時に全然熱くないの?
おばあちゃん「すごく熱いと思ってるよ。だから水で埋めてる。
僕       「え?
おばあちゃん「湯船から上がる時が寒いから、風呂に浸かりながら追い焚きするの。」
僕       「ファッ!?」
         「すごくガス代勿体なくない?最初から設定温度下げておけばいいんじゃないの?」
おばあちゃん「42℃より低いと風邪を引いちまうよ」
僕       「えー・・・。(おばあちゃんに体壊されちゃ困るし、それでいいか。)」
 
----------

数日後、テレビで冷え性の特集番組が放送されてました。
それを二人で見てたんです。
テレビで伝えられていた内容をかいつまんで書くと

・高温の湯船に浸かってしまうと、自律神経の乱れる。
・自律神経が乱れると体が冷えてしまう。
・湯船の温度は39度~40度が適している。

こんな感じでした。
僕はテレビの情報なんぞ鵜呑みにするべきではないと考えているタイプですが、
こう思いました。

しめた!!!!

僕       「ほら、テレビでもあまり高温の湯船はいけないって。
         おばあちゃん、風呂からあがってもストーブや湯たんぽ使って寒い寒いって、
         言ってるじゃない?」
おばあちゃん「うん。冷えるね。」
僕       「自律神経を元に戻していくために、お風呂の温度を40℃に設定しようよ!
おばあちゃん「それは無理だ。
僕       「えー。なんで?」
おばあちゃん「若い人と年とった人は違うんだよ。」

出ました。これ、言い返せない語り文句です。若い人には分からない。
こう言われると、本当に年をとったらそうなのかもしれませんからね。

僕       「1日だけ試そう!そうだ。41℃に1度下げるだけでもいいよ。
         これでも寒くて仕方がないなら42℃でもいいよ。」
おばあちゃん「うーん、テレビでも言ってるしね。それくらいなら試してみてもいいかな」

僕、ガッツポーズです。
くれぐれも書いておきますが、僕が熱くて湯船に入れないことが問題なのではなく。
設定温度の湯船に水を加えて、更に追い炊きする
という所作に無駄を感じてならないのです。
これに僕は僕なりの決着をつけたい。

--41℃の湯船当日

僕       「おばあちゃんどうだった?」
おばあちゃん「これくらいなら、まだ入るのに熱いから埋めるけど、出るとき寒くないね」
僕       (熱くて埋めてるんだ。。。。しかも追い炊きしてるんだ。。。)
        「それならさ、テレビで言ってた推奨温度の40℃にしてみようよ!」
おばあちゃん「それは無理だ」
僕       「えー。なんで?」
おばあちゃん「きっと出るとき寒いもの。」
僕       「そうかなぁ。。。。そうだ、これも1日だけ試してみようよ!1日だけ!」
おばあちゃん「無理。」
僕       「えー、自律神経に悪いって言ってたし、おばあちゃんの体のことを考えて
         言ってるのにー(建前」
おばあちゃん「無理なものは無理なんだよ。40℃にするくらいなら、お風呂に入らない!」
僕       「えー。でもそれに慣れていったら冷え性も改善されるらしいよ?(建前」
おばあちゃん「風邪ひいちまうよー。若い人と年とった人は違うんだよ。」
僕       「・・・・。」
おばあちゃん「おばあちゃんが風呂に入らなくて、ずっと汚いままでもいいてのかい?」
僕       「えぇー・・・」

----------

となってますのが、現状です。
おばあちゃんも80歳を超えてますし、体は冷えさせちゃいけないと思っているので、
これ以上は打診できないな、と。

でも、なんとなく分かってもらえますかねぇ。
この不条理。

というわけで、僕はシャワーで真水を湯船に突っ込んで、湯船に浸かってます。





ところで、この不条理ってものも、当然僕の感覚から来ることでありまして、
納得できないのも自分のせい、と思うように努力してます。
人は人それぞれ違うのだから、自分の思い通りにしようとすること自体が
傲慢なんだろうなぁと思います。
いや、思うようにしてます。
ほんと人への許容力がとてつもなく低いので、僕。
人のことはなんだってOKなんじゃないの?と思えることが目標ですので、
これもまた修行です。

だったらこれ記事にするなよ!
 ってハナシですが、なんか僕とおばあちゃんのやりとりがおもしろいかなと思ったので。

ではまたー。

2015年2月5日木曜日

その後について

今回はお礼と追記について。

以前の記事なんですが、カミングアウトしたことについて、予想以上に反響があって驚きました。

僕のことを心配してくれた人や、応援してくれた人、何も変わらないと言ってくれた人、
それから逆に腹を割って今まで言えなかったことを話してくれた人、
いろんな人が言葉を寄せてくれて、単純簡潔ですが、すごく嬉しかったです。

日本の社会では、人の目を気にして生きることに重きを置かれてしまう面もあるかと思うんですが、
「包み隠さずいること」は自分を自分のまま生きる術であること以外にも
僕にとって人との繋がりをより強くしてくれる要素なんだっていうことも思いました。

そう思うのは、ほかならぬ、投げかけてくれたあなたのおかげです!

僕自身は、解放できたからと言って、これからいいことばかりが待ち受けているとも
思っていなく、まだまだ立ち向かっていくには勇気と労力、くじけない心が必要と思っています。

でも、今、確かに強い結びつきを感じさせてくれた友人、知人、読んでくれた人たちに
すっごく感謝してます。

・・・

たくさんの言葉を交わして新たに思うことは、マイノリティだからと言って、縮こまって、怯えて暮らすなんてアホらしいなと。
自由に、自由な形の幸せをつかむよう、ドンと構えていくことかなと思っています。

例えば、ストレートの人がいる中で「最近芸能人で誰が好き?」なんて話に、
正直に答えられるような状況は理想的です。

それから「普通」ってなんなのかについても考えてました。
誰しも何かを抱えていて、正しい言い方が見当たらないなんですが、不自由ない、なんて人はほとんどいないんだと思います。

例えば、自分の性格が嫌いで不自由に感じているなんて人はたくさんいるはずです。
 
社会が提示する「普通」にすり寄せていくのもうまい生き方のひとつと思いますし、
自分を認め、許容し、自分なりのスタイルで生きていくのも、幸せのひとつと思えました。

※話はズレますが、
  杉崎ゆきる先生の女神候補生という漫画では、
  誰しも何かしらの身体的な欠陥を持って生まれ、Atomicと呼ばれるもので
   補って生活しているという設定があります。
  そして物語の中では、欠陥は持っていて当然のこととされて、誰からも卑下されるものでは
  ないように描かれています。
  今回の話、例として出すには、人の「個性」を欠陥と呼ぶにはふさわしくないと思いますが、
  世の中でのそれぞれの在り方がそのようなものであれば良いなぁと思っています。
  ・・・「差別と偏見がない」と言えば早い話だったか。
  
・・・

えーと、お礼だけ書くつもりが、またダラダラと書いてしまいましたが
本当にどうもありがとうございます。

あらためまして、
理解の意を示してくれた人、これからゆっくりでも分かって付き合っていってくれる人、
どうぞこれからもよろしくお願いします!

2015年2月3日火曜日

カミングアウト

唐突に告白しますが、僕はゲイです。

そして更に唐突ですが、家族全員にカミングアウトしました。

このことについてツラツラと書いていきますが、
同性愛の方には一部、不快な思いをさせてしまう点があると思いますので、ご注意ください。


なぜ家族にカムアウトすることになったのか、というと、
こんな経緯があります。

僕は2014年の7月から、うつ病にかかり、休職していました。
もちろん僕自身、職場の環境にも一因があるとは思っていましたが、
根底には同性愛の自分自身とどう付き合っていくか、とても悩んでいました。

一方、家族としては、ストレスである(であろう)仕事を休んでいるのに、
一向に体調が良くならないと感じていたわけです。
何に悩んで何に苦しんでいるのか。打ち明けて欲しいと何度も訴えかけられました。
親もその理解したいのに理解できない苦しみからか不眠に悩まされるようになっていました。
苦しんでいるのはわかっているのに、放置しておくような上辺だけの家族でいたくない
とまで言われてしまい、もうにっちもさっちもいかないと言うか。

えーと、実は僕にも思惑がありまして、
いつかは家族にカミングアウトしたいと考えていたんですよ。

病院の先生からは、家庭が崩壊する危険性も無くはないから大変だと思う。と言われていました。
知人から「カミングアウトしたい」なんて自分が楽になりたいだけで、
された側は肩代わりされて苦しみが増える一方だ、と言われたこともありました。
だからカミングアウトすること自体、揺れ動いていましたが、
自分なりにこういう状況を作れば、後悔はしないだろうという計画はありました。

タイミングとしては、・自分自身を認める、受け止めることができていること。
・親を安心させるだけの知識・経験をつんでいること。
・幸せだと感じていること。
が揃っていなければいけないと思っていたんです。

なので、簡潔に言えば、望んでいたタイミングは今じゃなかった(笑)

でも、前述のとおり、僕の家族の間では、隠し続けることは良い方向に向かわないことを
ヒシヒシと感じていました。
今しかないという感じでした。
 
本編のカミングアウトの内容を書く前に、
どうしてそうしたタイミングを揃える必要があると感じていたのかについて、
それぞれ書いてみたいと思います。
たぶん、それを書くことが、なぜカミングアウトが難しいと考えていたのか幹となると
思うので。

長文になりますが、興味がある方はお付き合いくださいー。

1.となっていた自分自身を認める、とは何ぞ?ということについて。
僕は長い間、同性愛者であることを自覚しながら、自身を内包するホモフォビアに
苦しんでいました。

特にストレートの方には馴染みのない言葉だと思うのでwikiのリンク貼っときます。
ホモフォビア』

それは、どういうことから来ているのかというと、大きくは知識不足。
実態を知らなさすぎること、また知ること自体をも恐れていたからです。

僕がゲイであると自覚したのは16年前、中学2年生の頃でした。
でも心の奥底では、認めたくなかったです。
 「なぜ、望んでもいないのに、僕は同性を好きになってしまうのか。みんなと同じが良かった」
 「みんなと同じく人目を気にせず恋愛をしたかった」
 「結婚して、子供がいて、そんな家庭を築きたかった。」
 「メディアに露出し、ヘテロの人にネタにされているようになりたくない」
 「頭を打ち付けて記憶喪失になって、ストレートになれるならそうなりたい」
など、そんなことばかり思っていました。

そのうち、自己嫌悪の気持ちが長年かけて膨れあがって、ストレスが爆発してしまったわけです。

1.1.病院の先生の言葉
実はかかりつけの心療内科ではゲイであることを打ち明け、相談にのってもらっています。
先生は、それを何一つ否定しません。
「歴史上の偉大な人物には同性愛者が多い」なんて話もしてくれるような方です。

僕は最初、ストレートになることはできるのかと尋ねました。

「脳は結局、電気信号で成り立っているから、
  頭に電極をつけて電流を流せば何かが変わるかもしれないけど、現代の医療ではできないよ。」
「そんなことを思うより、自分を受け止めて、やりたいことに制限を付けないほうがいい。
 君は、ある種、戒律的であるほどに、同姓愛を罪と考えている節がある。
 そう思う大半の理由は人の目から来ることなのかもしれないけど、
 君は君の人生を生きるんだよ。ほかの人の言っていることなんて99%自分にはどうでも
 いいことだと思うんだ。」
「やりたいように、好きな方を選択し続けなければ、いつか後悔で潰れてしまうよ。
 好きなことを選択するなら、それで何かあってもちょっとしたアクシデントだと思って、
 選択自体は失敗ではないと思えるでしょう?」

こんな風に勇気付けてくれました。それから

「君の場合早く2丁目に行くかアメリカのコロンビア州に行ったほうがいいな
 案外、中に入っちゃえば、悩んでいたことなんて"これくらいのもんか"って思えるはずだよ」
「今はインターネットとかで出会えないの?どんどん利用して人と会ってみた方がいいな。
 肉体関係も持ったことがないなら、いっそ経験してしまった方がいい
知ることに臆病になっているよりも実体験を持って、見解を深めるべきだよ。
体目当ての人も多くて関係性が希薄な人も多いって聞くから良い人に出会えるように
気をつけることは必要だと思うけどね」

なんて爆弾発言もしてくれる僕にとっては良い先生です。

1.2.親友の言葉
会社の同僚で、同い年の仲の良い友達がいます。
すごく大らかで人間としての受け皿が大きいいいやつです。
彼に思い切ってカミングアウトしてみました。
そうすると、
「そっかー、もうそれなら悩んでも仕方ないんだから、思いっきり楽しんじゃえよ。
 長く一緒にいられる人ができたら、披露宴でも開催しろよな。
 絶対、俺は盛大に祝ってやるから。」
って言ってくれました。

「何だったら近くに引っ越してきてくれよ。これからももっと遊ぼうぜ!
 あっ、そうだ俺が出張してる間に、嫁と遊んでやったりしてくれよ。お前なら安心だしさー。」
『いやいや、そしたら逆にお前と遊んでる時に嫁さんが心配するだろう(笑)』
「そういうことになるかー(笑)」

なんて一瞬で受け止めてくれて正直びっくりしました。

ほかにもストレートでも僕の悩みを相談して後押ししてくれる友人たちにも感謝してます。
人の目を気にする僕に「友達から愛されてると思うよ。それを知っても、何も変わらないよ」
と言って、言葉だけでなく、本当に変わらず接してくれる友人にも感謝です。

友達に打ち明けるだけで、「今までみたいにボディタッチされるの気持ち悪い」って思われたり、
疎遠になるんだろうなーと考えていましたし。
写真を撮るときに肩を組んでくれるとか、それだけでも偏見の目で見てくれていないことを感じて
嬉しく思ったり。(本当些細なことなんですけど、すごく嬉しかった)

更には、知っても尚、
プールとか銭湯とかに誘ってくれる友人もいたりして、正直びっくりなんですが

意外と重く受け止めて、おびえているのは自分くらいなもんなんだと気づきました。

1.3.出会いについて
そんなこんなで、(ここまで言うか)いろんな人と積極的に出会って、ゲイの友達を作れたらなと
活動しています。
すると、自分程長く悩み続けている人はそう多くないものの、みんな最初は悩みを抱えていたこと
を知れてきました。
「悩んでたって、時間は過ぎていくだけなんだから、好きなように生きるべきだ!」
と考えられている人が多いようです。
いろんな経験を持っている人に、初心者向けにいいところがあるよ!
とゲイバーに連れて行ってもらったりもしました。

めっちゃくちゃ緊張しました。

僕の性格上、「ゲイバーに行ったら、もうなんていうか後戻りできない気がする」と
思っていたからです。自分自身を観念で決め付けるのは僕の良くない癖です。

そこにいる人たちは、なんていうか明るく元気で、思い描いていた怖い面を感じませんでした。
というか、ひとつの空間に、こんなにゲイの人がいるってびっくりだ、と思いましたし、
不思議とおかしなことでもないように思えてきたんです。
一緒に過ごしてみて、感じ方が変わってきたように思えました。

後ろめたい気持ちから解放されたいと思うようになって、
性自体を考えることが少なくなっていきたいと思ったし、
漠然と幸せになりたいなぁなんて。

出来た友達いわく、今の僕は初心者すぎて、
「やり手の人からは甘い言葉でもかけて、手でも握れば落とすのチョロイってくらい無防備」
らしいので、流されないようにしっかりした方がいいって言われてます(笑)

1.*.現状について
こうしていろんな人に少しずつ支えてもらったり、いろんな言葉をかけてもらったりして、
少しずつ自分がゲイであることを認めることができるようになってきました。
ほんとごく最近のことなんですけど。

2.1.親を安心させることについて
最初に書いておくべきだったかと思うんですが、親にカミングアウトすることって、
親にとってはすごく酷なことだと思うんです。

親は当然、子は結婚して孫の顔が見たいと思っているでしょうし、
周囲の同級生の親から「うちの子が結婚してね~」とか「孫ができてね~」
って話を聞くたびに、ツラい思いをさせると思っていました。
それに、僕が同性愛について悩んでいることを打ち明けたら、
親はそうでないと思っていても親のせいでそうなった
ときっと受け止めてしまうと思っていたからです。

だから予め、心療内科の先生に尋ねてみました。
『どういう理由で同性愛になるんでしょうか?』
「親の育て方とか環境とか、そういうものではないと今は言われているよ。
 遺伝子で最初から決まってるというのが見解だから。」

おおよそ、親の行動、躾だったりそういうもののせいではないということを分かってもらえる
材料にはなるなとは思いました。

でも、「遺伝子で決まる」ということでも、ウチの親は
「私たちの遺伝子のせいだ」と思ってしまうと、考えていました。

だから、カミングアウトするにあたって、親のせいではないことを証明することができていない
ままでした。
カミングアウトした後も、これはどうするべきだったのか分からないままです。

3.1.幸せであること
幸せであること、には2つあると考えています。
自分自身を受け止め、卑下せず幸せに向かって生きていこうというスタンスをもっていること。
これからを共にできる大切なパートナーがいること。

前者については、前述のとおり、少しずつ考え方が変わってきているのかなと思ってます。
後者については、察しのとおり、まだいません(笑)

*.1.注釈
ここまで読んでくれた方の中には気づいておられる方もいるかと思うんですが
僕、親への承認欲求が強いんですね。
病院の先生も考え方が戒律的、と言うように、
「親が悲しむことを、知らないところで行動しているのは悪いことをしている」という考えを
もっているんです。

はっきり言って、これは親離れできていないとしか言いようがありません。
結果的にですが、親にカミングアウトして(なんとか)理解してもらえたことで
恋人探しや友達探しをすることに少し心の軽さを感じるんです。

つか、「30歳にもなって親離れしろよ」という気もします。
承認欲求については、親は親、子は子の人生を歩むべき、と頭ではわかっているんですけどね。
長年染み付いたこの感覚はなかなか。。。これは変えていかないと。

一応、夢ですが、大切なパートナーができた時には家族にも紹介したいと思っていますし、
家族ぐるみのお付き合いができたら最高だなと思ってます。
まぁ、似た感覚のパートナーができればいいですね(笑)

この辺の夢についても親離れできてないっぽさがじんわり滲み出てますが、
それは悪いことではないかなと思ってます。

*.2.肝心のカミングアウトについて
家族全員分のお酒をテーブルにドン!ドン!と置いて、
大事な話をしたいから、まずは一杯やってほしいとお願いしました。

家族全員に話をしたかったのは、誰かひとりに話して、誰にも相談できずに
背負ってほしくない、家族で共有してほしいと思ったからでした。

親は僕の苦しみの何かを知りたくて仕方がないという感じでしたから、
じっと待ってくれました。

その間、どれくらいの時間がかかったんだろうなぁ。
僕も大事な部分は端的に話さないと、と思っていたので、
「同性愛」の一言がなかなか喉から言葉がでてきませんでした。

まぁ、切り出したわけですが(笑)
「同性愛に悩んでいて・・・ 」
これが開口一番でした。それからは今までのことが滝のように口から飛び出してました。

妹はそんなつらい思いをしてたんだ、というように涙を流していました。
母はショックだ、ショックだ、と何度も言っていましたが、
それでも時間がかかっても受け止めるから、今は好きなようにやってほしいと言ってくれました。
何がショックかっていうのは、やっぱり嫁と孫が見れないから、っていうのと世間体からくるようでした。
うーん、そこはやっぱりごめんなさい、だけど。
その世間体もぶち壊せるくらい少しずつ家族間で理解を深めていくほかないのかもしれません。
父についてはあっけらかんとしていて、好きなようにしたら?という感じでした。

*.3.なんでこれをブログに書いちゃったのか
もう誰にも自分自身を偽る必要がないような気がしたからです。
ストレート、ゲイと関係なく僕を大切に思ってくれる友人もいますし、
逆に茶化してくる人がいたとしても、申し訳ないけど、自分の人生には関係ないし、それを
スルーするくらいの心意気が備わってきたと思いますし。
家族にはまだまだ話し合う必要は残っているけど、隠しておかないといけないと思っていた一番の人に話してしまいましたから。

あとは、やりたいようにやる、僕は僕の自由でいる、それだけです。

こういうのは言わないのが美徳なんでしょうけど、書いちゃいます(笑)
誰にも打ち明けられずに苦しんでいる人に、
何を知っても好きだと言ってくれる友人はいるはずだよ。
同じ悩みを抱える人の苦しみが軽くなることを願っているよ。
と伝えたくて書きました。


*.4.僕の表現について
実は僕がドラムボーカルでやっているATARIというバンドの方は、
ひとつのテーマに基づいて、みんな違うけど、みんな同じ。いろんな目線での僕らの困惑を混沌にまぜこぜして表現したいという思いから、全員で歌詞を持ち寄って曲を作っています。

僕は、こうした苦しみについて/解放されたいという思いなどを主に綴っているわけですが
(もちろん同性愛についての曲を書いているわけではないですし、
 僕もその思いのみを書いているわけではないです)、
こうした真剣に伝えたい一端もあるんだっていうことが伝わるといいなぁと思います。
いや、曲のみでそれを表現しろよって話もあるかもしれませんが、
せっかくの暴露なので、僕の表現のバックボーンとして。